学校概要

大崎市田尻地区の概要

photo1 【おいたち】 明治維新の際、仙台藩から土浦藩の取り締まり地とされたが、明治2年2月涌谷県に属した。まもなく登米郡と遠田郡が合併して登米郡となり、同年4月仙台県に合わせられ、更に同年5月宮城県の管轄となった。明治22年4月、藩政時代の17ケ村が合併して田尻村(明治35年から町政施行で田尻町と改称)、沼部村、大貫村が生まれ、以来単位町村として65年間行政が行われたが、昭和29年5月3日三町村が合併して田尻町が誕生した。平成18年3月31日、古川市、三本木町、松山町、田尻町、鹿島台町、岩出山町、鳴子町が合併して大崎市が誕生した。


【地勢】 photo1仙台市の北方49.3kmにあたり,中央部を東北本線が南北に走っている。地区の北部から東南部にかけ、丘陵地帯が続き、北部は開田により大半は水田となった。最高峰の加護坊山は標高224mで、その眺望はすばらしいものがある。水系上から迫川水系と江合川水系とに大別され、広大な田園地帯は大崎耕土の一部に属し、田尻米の主産地である。


学校づくりの全体構想・学級編成等

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校歌 作詞:三澤 房太郎  作曲:海峰 義美

一.船形遠く 空あおく 緑の耕土 広々と 民主の思想 たたえつつ
  教えの庭の いそしみに つよく正しく 育ちゆく
  田尻中学 田尻中学  光あれ


二.永遠に変わらぬ 加護の峯 伝えも古き わが山河  学びの窓に 仰ぎては
  つとむる日々の 学習に 若き理想は 火と燃ゆる
  田尻中学 田尻中学  栄あれ


三.新しき世の あけぼのに 国の栄を 祈りつつ 自主独往の 意気高く
  鍛えに鍛えん 身と心 われら若人 未来あり
  田尻中学 田尻中学  誉あれ